カテーテル治療大事故による心タンポナーデを放置して回復不能に【医療事件抹殺事件簿6】

問題点3:「心タンポナーデ」と「心嚢穿刺」に関する医師説明

前回は「問題点2:重度のショック・危篤状態に陥った原因について」について取り上げました。

8月27日の時点で血圧60/40 mmHg、心拍数150~160/minと重度のショック状態・危篤状態で、 この時点で医師(岩井利之医師、梅本朋幸医師)からは「昇圧剤で血圧が維持できなくなれば、残された治療法がなく、今晩か明日にお亡くなりになる 可能性が高い」という説明でした。

しかし後に入手した医療記録からは、血圧が低下した原因は複数あると考えられ、特にこの時点で 輸血と胸腔穿刺、抗生剤変更が行われれば、持ち直す可能性は十分あったということが分かりました。 つまり「残された治療法がない」という医師説明は、私たち家族を諦めさせて看取らせるための嘘であった ということです。そしてその目的は最初に起きたPCI(冠動脈カテーテルインターベンション)の大事故を隠蔽することです。 つまり、患者が死んでしまえば、遺体もろともその事実を闇に葬れるわけです。

しかし私たちは「看取ってほしい」という医師の言葉に従わず、その夜、病院には戻りませんでした。 「このままではトラブルになる」と感じたのか、その夜、何かが行われたことが翌日分かりました。

今回はそのことについて、説明しようと思います。

翌8月28日には劇的に回復・医師からの説明内容

8月27日に血圧低下、頻脈が進行し、医師からは「残された治療法がない」と説明を受けた時点で、 私は半分は諦めていました。夜に「心肺停止」の電話がかかってくるかもしれない、と思い、覚悟して浅い睡眠をとっていました。 しかし夜が明けて朝になっても、自宅にも携帯にも電話はかかってきませんでした。

「あの後、どうなったのだろう」と気が気ではなく、私は午前9時頃、病院に向かいました。

父のもとに行き、モニターを見ると、血圧110/60 mmHg, 心拍数100前後と血圧は回復、頻脈も改善していました。 前日に「底」を打って、その後、回復に向かい始めたのだと私は考えて、一度待合室に戻り、11時頃にもう一度、様子を見に行って、 状態が変わりないことを確認して帰宅しようとしたところ、岩井利之医師と会いました。

岩井医師は待合室で私の前に座り、説明を始めました。

「実は深夜になってさらに血圧が低下して50くらいになったので、エコーを当ててみたところ、 心嚢液と言って、心臓とそれを包む膜の間に血液が貯まって「心タンポナーデ」になっていました。 そこで心膜に針を刺して、その液体を抜く「心嚢穿刺術」を行いました。」 というのが岩井医師の説明でした。

一言で言えば、「心タンポナーデに対して心嚢穿刺を行った」という事後報告でした。

「それが昨日、血圧が下がって、頻脈になっていた原因だったわけですね。 とりあえず窮地を脱出できてよかったです。心タンポナーデの原因は分かりますか?」 と私は質問してみました。

「おそらく心筋梗塞で壊死してもろくなった心臓の裂け目から少しずつ漏れ出している、oozingが原因だと思います。 治療法は手術しかありませんが、今の全身状態を考えると手術には耐えられないと思います」というのが岩井医師からの 説明でした。

「一晩、こちらに連絡がなかったので、何事もなかったのだと思っていました。 心嚢穿刺を行うのなら、その前に電話でも何でも家族に一言、同意を取るものではないのですか?」 と私は聞いてみました。

「その点は申し訳ない、深夜でしたし急いでやる必要があったので同意を取っている時間がなかった」 というのが岩井医師の説明でした。「それなら昨日、昼と夜と2回もここに来ているわけですから、 そのときに説明してくれればよかったのではないですか?」という当然の疑問を私は飲み込みました。 経過からは岩井医師、梅本医師が心タンポナーデを見落としていたと考えて間違いのなさそうな状況であり、 私はこの場で見落としを追及しても仕方がない、それよりも岩井医師との関係性を第一に考え、 父親にとって少しでも良い状況を作ることを優先しました。

午後早い時間に、今度は岩井利之医師の上司の大坂友美子医師から説明がありました。

説明内容は概ね同様で、「心タンポナーデに対して心嚢穿刺を行いました。それで血圧も心拍数も 数値の上では改善していますが、血圧が低い時間が長く続いてしまったため、脳に重度の障害が残ってしまっている 可能性があり、意識は完全に戻らない可能性が高いと思います」、「寝たきりになってしまう可能性が高いです」、 「心機能が悪いため、回復したとしても日常生活がまともに送れなくなる可能性が高いです」など、 予後不良の見通しばかり並べ立てられました。

そして「それでも今後、積極的な治療を希望しますか」と確認してきました。 ここでも急変時DNR(Do Not Resuscitate:蘇生処置を行わない:胸骨圧迫しない、気管挿管しない、人工呼吸器を使用しない: 但しこの場合は、気管挿管・人工呼吸器使用中であるため、胸骨圧迫のみ)の確認を取ろうとしていました。

私はPCIが成功したのだから、必ず回復するはずだ、とこの時も「PCIが成功した」という医師説明を 判断のよりどころにしていました。「せっかく原因も分かって治療をして、 回復傾向にあるのに、ここで見捨てるわけにはいきません」と 私たち家族は全力での治療を希望しました。

「今は心破裂を予防するために、血圧を低めに管理して出血が止まるのを待ちたいと思います。 全身状態が改善したら、手術について改めて相談したいと思います」という説明でした。

医療記録から~心タンポナーデ、心嚢穿刺の記載はあり、抗生剤変更も

8月27日深夜から8月28日朝にかけての出来事について、後に入手した医療記録に記載されていたのは次の事柄でした。

・岩井利之医師の上級医・大坂友美子医師も加わった
・心エコーを行ったところ、心嚢水増量を認めた
・大坂医師はプロタミン(抗凝固薬ヘパリンの中和薬)の指示を出した
・日付が変わった0時過ぎに大坂医師が「心嚢穿刺術」を行った
・心嚢穿刺術で初回ドレナージ量は230mlだった
・その検体の一部を検査(一般、細胞診等)に出した
・大阪医師が抗生剤をセフトリアキソン(第3世代セフェム)からチエナム(カルバペネム系)にescalationした

抗凝固薬ヘパリンの投与目的とAPTT(出血時間)
実は入院後、ヘパリン(抗凝固薬)の投与が続けられていました。これは血栓形成を防ぐ目的で行われるもので、 患者の体格や体質によって効き方が全く異なるため、投与量に注意が必要な薬剤です。 過剰投与すれば出血傾向が進み危険なため、頻繁に採血して確認する必要があります。 項目としてはAPTTという出血時間がヘパリンの薬効の目安となり、 ヘパリンを投与されていない通常の健常な人の場合はAPTT 30~35秒前後です。 血栓形成予防目的でヘパリンを投与する場合、APTT 50~60秒を目標に投与量を調整するのが一般的です。

APTT 92秒でヘパリン増量されている
8月27日のヘパリン投与量は15,000単位でAPTT 92秒と目標を大幅にオーバーしており、 これは私たち医師があまり見ない数字、もっと言ってしまうと目を剥くようなパニック値です。 これは大動脈や冠動脈の穿孔部位からの 胸腔内、心嚢内への出血をさらに悪化させるリスクが高い状態で、一刻も早い減量・中止が必要です。 しかし医療記録を見ると、この日、ヘパリン投与量が15,000単位から20,000単位に増量されていました。 これでは胸腔内や心嚢内への出血が進み、病状をさらに悪化させて死期を早めてしまいます。 故意に死期を早めようとした疑いがあります。

「看取り」の方針から「積極的治療」の方針へ変更
医療記録を見ると、この日の深夜、岩井利之医師の上司の大坂友美子医師が出現しており、抗凝固薬ヘパリンの中和薬のプロタミン投与の指示を 出していることから、「このまま放置して看取らせる」という岩井利之医師、梅本朋幸医師の間違った方針に大坂友美子医師が真っ向から異を唱えたことが読み取れます。 また大坂医師が心嚢穿刺術を行い、さらに抗生剤をより広域のものにescalationし、 感染に対する治療にも本気で取り組み始めた、ということが読み取れます。

逆に言えば、それまでは本気で治療していなかったことは明らかで、 それまでの「積極的な治療を行わない」という方針から、「積極的な治療を行う」 という方針にこのタイミングで切り替えられた、ということが分かります。

実はこの大坂医師は若手の女医さんでしたが、私が今回この病院で会った循環器内科医5人の中で、 唯一、誠意があり、まともな医師という印象が残っています。 おそらく大坂医師にとって、梅本医師や岩井医師の不適切な(というより犯罪的な)診療が許せなかったのだろうと思います。

「心嚢穿刺」は行われたか?情報が錯綜。改ざんの可能性も
心嚢穿刺術を行ってドレナージした検体には「心嚢水」というコメントが付記された上で、 一般検査、細胞診検査に提出されています。医師らの説明は「嘘」で塗り固められてはいましたが、 ここには「嘘」は書けないでしょうから、確かに心嚢穿刺術は行われていたと考えるのが妥当と思います。 ただその後の生命保険証明の書類には、「心嚢穿刺」の記載はありませんでした。 また8月のレセプトの項目には「胸水」はあっても「心嚢水」はありませんでしたので、 実際に行われたのは、心嚢穿刺ではなく胸腔穿刺であった可能性も十分にあり得ます。

輸血が必要になるほどの貧血に至った原因
またもう1つ私が問題にしたいのは、輸血が必要になるほど貧血が進行した原因です。 貧血が進行する原因としては、出血以外にも色々ありますが、これほどの貧血が急激に進行するのは 出血以外では溶血性貧血以外にはありえませんし、溶血性貧血は否定できますので、やはり原因は出血です。

医師らの説明によると、貧血の原因に関しては心嚢水貯留、つまり心膜への出血以外、説明がありません。 しかし心嚢のスペースは200~300ml程度であり、遅い速度で徐々に貯留していく場合には、心膜が引き伸ばされて、 1Lほど貯留するほどのスペースになることもあるそうですが、この場合は数日という短い期間ですので、 せいぜい300ml程度のスペースにしかならないはずです。人間の血液量は普通の体格の場合、4~5L程度と言われていますので、 300ml出血しても、輸血が必要にはなりません。

つまり貧血になる原因は心タンポナーデ以外にも何か他のものがあったはずです。 体外への出血ではありませんから、体腔内のより大きなスペースに出血を起こしていたということです。

やはり私の見立て通り、PCI中に大動脈を損傷して胸腔内に出血していたというのが最も有力と思います。 PCIの画像に関しては、術中は長くても1~2分刻みで画像が撮影されていますが、 大動脈損傷を起こしたと思われる前後18分間の画像が存在していません。後から抜き取られた可能性が高いと考えています。 しかしその抜き取られた後の画像には動脈から血液が漏出する様子が映し出されていますし、 死亡日に撮影されたCT画像でも大動脈から胸腔内に流出した血液の痕が明らかに認められますので、 間違いはないと思います。

しかし医師からはその説明はありませんでした。

「心タンポナーデ見落とし」に思えた理由と真相

私は8月27日から翌28日の経過から、医師らが心タンポナーデを見落としたことをその時点では強く疑っていました。 そう考えた理由は次の通りです。

8月27日の時点で血圧60/40 mmHg, 心拍数150~160/minと重度のショック状態で、 岩井利之医師も梅本朋幸医師も「昇圧剤で血圧が維持できなくなれば、残された治療法がない」と説明していましたが、 翌日に血圧が回復し、心拍数も正常に近づいていました。 その日、「実は夜間、夜間、血圧が50台に下がったため、心エコーを行ったところ、心嚢水が増量していて、心タンポナーデとなっていたため、心嚢穿刺術を行った」と事後報告を受けたのは前述した通りです。

この経過から、8月27日の時点での「残された治療法がない」という岩井利之医師と梅本朋幸医師の説明は結果的には間違いで、 「心嚢穿刺術」という治療法があったことになります。 その前日の8月27日の時点で、血圧低下、心拍数の原因が心嚢水貯留・心タンポナーデであったことを知っていたのであれば、 父の回復を必死に願う私たち家族に対して「残された治療法がない」という説明にはならず、事実を説明してくれたはずと考えました。 しかし実際には心タンポナーデ、心嚢穿刺について説明がなかったわけですから、 医師らはそのことを知らなかった、つまり見落としたのだと考えたわけです。

そのことを私たちは後に医師らに質問しました。 「心タンポナーデであることを知っていたのに説明しなかったのは、何故ですか」と何度も医師らに問い質しました。 しかし医師らは「知ってはいたが、それが主要因とは考えていなかった」、「心エコーで心嚢水が貯まってきていることは 確認していたが、その時点では量が少なく心臓や肝臓や肺を刺してしまうリスクがあり、安全に心嚢穿刺できるほど貯まっていなかったので、「残された治療法がない」 という説明になった」、「要するに説明不足だ」という主張を繰り返すのみでした。

医師らはこの件について「説明不足」という言葉で逃げようとしました。 しかし「説明不足」では済まない大問題であることは明らかです。

次回は医師らの言う「説明不足」により何が起こったのかを含めて、この言葉の本当の意味と使い方について 取り上げようと思います。

次は問題点4:治療法がないと嘘をつき患者を看取らせようとした【医療事件抹殺事件簿7】へ。

事件の詳細・トップページ

【告発】医療事故後の患者放置・変死事件と司法・行政による死因・死後手続きの偽装【取手協同病院】