カテーテル治療大事故放置により重度のショック・危篤状態に陥る【医療事件抹殺事件簿5】

問題点2:重度のショック・危篤状態に陥った原因について

前回は病院内での出来事に関する5つの問題点のうちの1つ目、搬送直後に行われたPCI(冠動脈カテーテルインターベンション)での 大事故と、その後の医師説明内容について、説明しました。

医師らは大事故の事実について父本人にも私たち家族にも報告せず、手術の手配もしてくれませんでした。 この大事故に対する救命手段は手術一択ですから、手術の手配をしないことは、すなわち患者の死を待つことを意味します。

そしてその必然的結果と言ってよいと思いますが、PCI大事故の翌日には貧血が進行して輸血開始となり、 2日間で血圧低下、頻脈が進行し、危篤状態に陥りました。

ここではその前後の父の状態と医師説明内容、「医療記録」から読み取れた事実経過を対比させながら詳しく見て行きたいと 思います。

入院翌日(8月26日)輸血、人工呼吸器装着

8月26日

この日の午後、病院から呼び出しがあり、病院に行きました。主治医の岩井利之医師からの説明は次のようなものでした。
「心筋梗塞が重症のため、心不全が進行し、回復が難しい状況です。 また貧血が進行していて輸血が必要な状況です。ご家族は積極的な治療を希望しますか?

この打診は「積極的な治療を希望しない」を選択すれば、そのまま何もせずに看取りとなる流れであり、 岩井医師はそのような返答を期待していたことは状況から明らかでした。 しかし私たちは必死であり、「もちろんです。とにかくできる限りのことをして下さい」と懇願しました。 心肺停止時には胸骨圧迫、呼吸状態が維持できない場合には気管挿管、人工呼吸器装着、いずれも希望としました。 また貧血に対して輸血も必要とのことで、輸血同意書にもサインしました。

PCIが成功したことからは今後回復する見込みは十分あり、しかも年齢も72歳と超高齢でもなく認知症もないため、 これは妥当な決定です。

この時点でも医師からは、最初のPCIの時に起きた大事故と貧血の原因についての説明は全くありませんでした。

この時、父とも面会しました。せん妄があり興奮気味でしたが、普通に会話することができました。 これが父と交わした最後の会話になりました。

一度帰宅して、最後午後7時頃、再び病院に行きました。
既に鎮静の上、気管挿管、人工呼吸器が装着されていました。赤血球輸血も開始されていました。 岩井利之医師は「非常に厳しい状況。重症の心筋梗塞で心不全になっている」、「回復が難しい」と繰り返すのみでした。

8月27日:血圧低下、頻脈進行、「残された治療法なし」と医師説明

8月27日(金)

この日も昼過ぎ病院(取手協同病院)から緊急呼び出しを受け、病院に行きました。
待合室で待っていると、岩井利之医師の上級医という大坂友美子医師が現れ、面談室に案内されました。 しばらくすると大坂医師のピッチが鳴り、大坂医師が出て行って、代わりに梅本朋幸医師が入ってきて説明を始めました。

「左前下行枝の根元の部分が詰まっていたため、心筋梗塞が重症で心臓のポンプ機能が著しく低下しています。 昇圧剤を限度いっぱいまで投与していますが、血圧が維持できなくなっており、これ以上、 残された手段がありません。救命は難しいと思いますし、今日か明日になる可能性が高いです。」 という説明内容でした。

「でもPCIで血流が戻ったのなら、回復する見込みは十分あるのではないですか?今が底でそこから 回復する可能性もあるのではないですか?」と私は質問しました。 梅本医師は「臨床の現場の感覚でも、それは期待できないと思います」と望みを絶つような返答を繰り返すのみでした。

この時、モニター上、血圧60/40 mmHg前後、心拍数150~160/minと、重度のショック、頻脈で、 確かに数字上はいつ心停止してもおかしくない状況ではありました。 昇圧剤もノルアドレナリンを中心に数種類、大量投与されているようでしたが血圧は維持できていませんでした。

「もう終わりだ・・・」と泣きながら帰宅しました。

午後7時頃、再度、病院に行くと、岩井利之医師が現れました。 「血圧がさらに低下していて、いよいよ厳しくなってきました。今晩か明日と思います。 今日はこちらで見守ってあげてほしいと思います」という説明でした。 私は岩井医師に素朴な疑問を投げかけてみました。
「どうしてここまで悪くなってしまったのですか?」
「やっぱり心筋梗塞・・・」というのが岩井医師からの返答でした。
それ以上の説明はありませんでした。

(原因が心筋梗塞だけだったら、そのうち持ち直すだろう。「今晩か明日」 というのは万が一急変した時の追及を想定しての「逃げ」だろう)と私は考え、 「PCIが成功したのなら、このような経過にはならないはずです。しっかりと治療して下さい」と言い残して、その夜、病院には戻りませんでした。

翌日まで病院からの連絡はありませんでした。

医療記録から~「残された治療法」は実はたくさんあった

「ショック」の医学的定義
血圧60/40 mmHg、心拍数150~160/minと重度の血圧低下と頻脈があり、これは医学的に「ショック」と呼ばれます。 医学知識があまりない方にも分かるようにかみ砕いて解説したいと思いますが、この「ショック」というのは日常的に使われる「ショック」という 言葉とは意味が違います。

医学的な「ショック」というのは血圧が低下し、体内の臓器に必要な血流が供給されない状態です。 最近の救急ガイドラインでは臓器障害に重点が置かれ、「ショック」の定義から血圧が除外されていますが、 概ね、私たちが医学的に「ショック」という場合、収縮期血圧80mmHg未満を一つの目安とします。

血圧が低下すると、1回拍出量も減りますから、単位時間当たりの拍出量を増加させるために、「数」、つまり「心拍数」が 上昇します。つまり、血圧低下、心拍数上昇が「ショック」の目安となります。 (但し「神経原性ショック」は血圧低下のみで、頻脈にはなりません)

「ショック」の原因・5つの分類
ショックの原因は大きく5つに分類できます。「循環血液量減少性ショック」(脱水症、出血など)、 「血液分布異常性ショック」(敗血症性ショック (血液の中に細菌が入り込み全身を巡るとこのようになる場合があります)、アナフィラキシーショック)、 「心原性ショック」(心臓のポンプ機能の低下)、「心外拘束・閉塞性ショック」 (これは心臓が外から圧迫されて拡張不全を起こした際に生じ、例としては心タンポナーデ、緊張性気胸・血胸などがあります)、 「神経原性ショック」(血圧を調節する自律神経の異常や交感神経の障害などが原因となります)。

この症例の場合
1. 脱水・出血
医療記録を分析すると、この時、輸血していないにもかかわらず、ヘモグロビン濃度(Hb)がかなり上昇しており、 BUN(尿素窒素)、Cre(クレアチニン)が上昇しています。前者も後者も血液が濃縮した際に上昇します。 従って、「脱水」があった可能性が高いと判断できます。

また前日輸血が行われていることから、体腔内への出血は確実にあったと思われます。 この時点で抗凝固薬(ヘパリン)は15000単位/日で投与されていましたが、この日の採血でAPTT 92秒と出血時間の延長が著しく、パニック値であり、 直ちにヘパリン投与を中止しなければならない状況のはずでしたが、カルテを確認すると、ヘパリンは中止どころか、20000単位/日に増量されていたことが 判明しました。これは胸腔内・心嚢内の出血を促す医療行為であり、故意に死期を早めようとした疑いがあります。

2. 敗血症性ショックの疑い
またこの日、39℃台の高熱があり、WBC 7090/μlとやや低下傾向、CRP 22.73 mg/dlと急激な上昇があり、 敗血症性ショックの可能性は十分ありました (さらに言えば、感染の原因、熱源の推定もした方が望ましいのですが、カルテには、 そのアセスメントもなく血液培養を採取した記録もありません。抗菌薬はセフェム系のセフトリアキソンが投与されており、 抗菌薬は変更されていません。推定されるのはカテ感染、人工呼吸器関連肺炎 あたりと思います)。

3. 心外閉塞・拘束性ショックの疑い
さらに医原性大動脈損傷の疑い、左冠動脈主幹部損傷・解離、左前下行枝解離・損傷・穿孔の影響で、緊張性血胸、心タンポナーデを 来たしている可能性は十分にありました。

つまり医療記録からは8月27日の時点での血圧低下の原因は、ショックの5つの原因のうち「神経原性ショック」以外、 「血液循環量減少性ショック」、「血液分布異常性ショック(敗血症性ショック)」、「心原性ショック」、 「心外拘束・閉塞性ショック」の4つの全ての可能性があったことになります。

このうち医師が言及していたのは「心原性ショック」(心筋梗塞に伴う心臓のポンプ機能の低下)のみでした。 他の3つについては言及がありませんでした。

この時点で可能であった治療法・対応
これらのショックの治療法としては「血液循環量減少性ショック」に対しては出血に対して輸血、脱水に対して補液、 「敗血症性ショック」に対しては、この時点では漫然とセフトリアキソン(ロセフィン)が継続投与されていますが、 この抗生剤が効いていないのは、発熱、CRP上昇から明らかですので、より広域の抗生剤(ペニシリン系ではゾシン、 あるいはカルバペネム系もあり)に変更すべきであったことは医師であれば誰でも指摘できることです。 また「緊張性血胸」に対しては「胸腔穿刺ドレナージ」、「心タンポナーデ」対しては「心嚢穿刺ドレナージ」が 治療法になります。

「残された治療法」はたくさんあった
このように、8月27日の時点での父を危篤状態から救出できる可能性のある治療法はこれだけたくさんあったということになります。 その全てではなくても、そのいくつかを試してくれていたら、父を救うことができたかもしれません。

家族の希望を無視し、積極的治療を行わず、医療事故隠蔽目的に看取らせる方針

医療行為に伴うこれらの障害を放置すれば患者の死は避けられない
この8月27日の時点での血圧低下、頻脈の主要因は大動脈から胸腔内への出血による血胸と出血性ショックだったと考えられ、 この場合、優先順位の最も高い治療法は輸血と胸腔穿刺になります。ただ医師としては、これらの血管損傷・解離・穿孔等を隠蔽・放置する方針を選択した時点で、最終的には患者の死を待つという方針になったことは明らかkです。

一時的に胸腔穿刺をしてショック状態を解除したとしても、胸腔内には血液が持続的に流出しているわけですから、 生命維持のためには輸血を繰り返す必要があり、これでは血液製剤という貴重な医療資源を際限なく無意味に使い続けることになってしまい、 当初の「患者の死を待つ」という方針を考えると、本末転倒です。 従って、どこかで輸血を打ち切る必要があります。 「それなら輸血もせず、胸腔穿刺もせずに看取るしかない」というのが医師の判断であったと考えられます。

つまり医療行為に伴う傷害を隠蔽・放置して患者の死を待つ」という最初の方針を貫こうと考えれば、 何もせずにお看取りするのが、医師の労力も医療資源も無駄にならずに済む、というのが医師の思考過程だったと考えられます。 あまりにも冷酷非情です。

医師は「残された治療法がない」と虚偽説明して、「今日か明日、お亡くなりになる可能性が高い」 と説明して、父を看取らせようとしたという話をしましたが、 私はこの時、父の前に行き、首を横に振って泣きました。この時、それを見ていた医師はどのような気持ちだったのでしょうか。 私の泣く姿を見て、何も対処してくれなかったのですから、医師は心を痛めていなかったのは明らかです。

皆さんは、もし自分の大切な人がこのような扱いを受けたとしたら、その医師を許すことができますか?

「積極的な治療を行わない」、「急変時DNR(Do Not Resuscitate:蘇生処置は行わない)」とは

ところで、この時、医師らはそれ以上の積極的な治療をせずに患者の死を待つ方針でした。 これは医療の現場を知らない皆さんから見て、特別なことのように思えるかもしれませんが、 このような対応は頻繁とまではいかなくても、ある程度の頻度で行われています。 但し医師がこのような方針で対応をするために絶対に必要な条件があります。

その条件とは次ようなものです。

①積極的な治療をしても、ほとんど患者の利益にならない
②積極的な治療をすることで、かえって患者の尊厳を傷つける可能性が高い
③「積極的な治療を希望しない」という方針に対して患者家族の同意が得られている

積極的な治療をしても患者の利益にならない例としては、重度の認知症で意思疎通できない寝たきり高齢者の 心肺停止時の蘇生処置、末期癌患者の貧血に対する輸血・蘇生処置、 嚥下機能が廃絶した寝たきり高齢者の誤嚥性肺炎に対するフルカバーの抗生剤投与、 経口摂取ができなくなった寝たきり・認知症高齢者への胃瘻造設や高カロリー輸液などがあります。

これらをしたとして延命はできますが、その効果は限られる一方、ただ単に生かされているという状態は、 患者側から見ても、決して良い生き方ではないと考える人も多いですし、 結果として、良い最期の迎え方ではない、と考える人も多いです。 自然な最後を迎えること=自然死は、「尊厳死」と同義です。 無理な延命治療をせずに自然な最後を迎えることは、その人の尊厳を守ることにもつながります。

このように、意思疎通できない末期の認知症の寝たきり高齢者や末期癌で死期が迫りつつある患者に対しては、 積極的な治療は推奨されませんし、患者家族もそれを希望しないことがほとんどです。

しかし父の場合はそうではありません。72歳と超高齢ではなく認知症もなくADL(日常生活動作)も自立していました。 この状態で医師らが「積極的な治療を希望しない」という選択肢を提示してくるのも大問題ですが、 その選択肢に私たち家族は同意をしていませんでした。

つまり上に挙げた3つの条件をいずれも満たしていない状態で、医師らは自分たちの判断のみで 「積極的な治療をしない」という方針に舵を切ってしまったというわけです。

この方針に決めた以上、現在の状態を詳しく説明する必要はない、何も分からないまま、 家族に看取らせてしまおうと考えたのだと思います。


こうして、8月27日に重度のショック、危篤状態となり、「残された治療法がない」との説明を医師から受け、 絶望して泣きながら帰宅しました。「今晩、看取ってほしい」という医師の言葉に従わず、 私たち家族はその夜、病院には戻りませんでした。

そして翌日まで病院から連絡はありませんでした。

翌日8月28日の朝、病院に行ったときの出来事については、次回お話ししたいと思います。

次は問題点3:大事故による心タンポナーデを隠蔽・放置して回復不能、対処が遅れる【医療事件抹殺事件簿6】へ。

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【告発】医療事故後の患者放置・変死事件と司法・行政による死因・死後手続きの偽装【取手協同病院】