事件の概要(医療事故隠蔽目的の患者殺害とその後の隠蔽工作)【医療事件抹殺事件簿2】

このページの概要

・父が心筋梗塞に対するカテーテル治療(術者:岩井利之医師)後に容体が急激に悪化し死亡
(後に「証拠保全」で入手した医療記録を分析し、事故が多発していたことが判明)。
・何故か最後は頭部CTで急性硬膜下血腫あり(頭部打撲)
・病院側(徳永毅医師)の病理解剖の申し出を断り、我々遺族は司法解剖を希望
・「我々の方で警察を呼びましょうか」という病院側の申し出に、我々遺族は警察への通報を病院側に一任。
・茨城県取手警察署・刑事第一課長・沢村紀行警部が対応。
・沢村刑事は「司法解剖が行われた」と報告したが実際は行われていなかった
・沢村刑事は法医学教授が記載したとされる「死体検案書」を我々遺族に手渡した
・その「死体検案書」は、本当は病院医師が記載した偽物であることが後に判明
・これとは別に病院から「死亡診断書」が発行(つまり病死として処理)されていたことが後に判明
・弁護士には4カ所相談に行ったが、いずれも病院・医師側を擁護し、遺族の説明や希望を一切無視
・国内・海外メディア・マスコミに数十件、調査・取材依頼を行ったが完全無効
・一度は諦めて婚活を始めたところ、担当者・お見合い相手なりすましなど妨害の事実が明らかに
・本事件を明るみに出す以外に現状を打開する方法はないと考え、告発サイト立ち上げ

未解決事件の概要

今(2026年3月)から約15年半前、父親が急性心筋梗塞を発症し、その治療(PCI:冠動脈カテーテルインターベンション)中、 担当の医師(岩井利之医師)が医療事故(事故と呼べないほど重大な傷害が多発)を起こしましたが、患者・家族にはその事実を隠し、傷害に対する緊急対応をせず放置したため重症化して回復不能となり、最後は頭部打撲による怪死を遂げました。

私たち家族は「司法解剖」希望し、茨城県取手警察署・刑事第一課長・沢村紀行警部(以下「沢村刑事」)から、 実際に「司法解剖」が行われたという説明を受けました。 沢村刑事は病院医師によって捏造された死体検案書をたち家族に見せ、 その代わりに病院側はたち家族には内密に正式な死亡診断書を発行し、 死亡届は家族以外の何者かが記入して町役場に提出し、 父の死は変死(殺人の疑い)から病死に偽装され、父の病院内での医療事故とその後の隠蔽・殺人はなかったことにされてしまいました。

訪問した弁護士は成りすましで、取手協同病院で行われた「証拠保全」手続きは、証拠の差し押さえどころか、病院・裁判官・弁護士が結託して、 証拠の取り逃し、証拠能力の低下等の妨害行為を行っていたことが後に判明しました。 マスコミ各社への告発・情報提供も、海外メディアへの告発も 全て失敗に終わりました。これをもって事件を公にする活動を一旦諦めました。

2022年から2023年にかけての婚活中に何者かに妨害されている事実をつかみましたが、この妨害の動機は この事件を明るみに出す協力者が現れるのを阻止することと考えられました。 私の日常生活への妨害・人権侵害は、私が諦めてもなお続いていることが判明するに至り、そもそもこの事件を世に出す以外、 この状況を打開する方法がないと結論付け、告発サイトを立ち上げることにしました。

まずこのページでは事件の全体像が分かるように概要について記載したいと思います。

この事件は父が急性心筋梗塞を発症するところから始まりますが、 客観性、公平を期すために、心筋梗塞発症前の父の状態について簡単に説明しておきます。

発症前の父の生活歴・既往歴

既往歴:汎下垂体前葉機能低下症、高血圧症、耐糖能異常、太田母斑
認知症なし、ADL低下なし

父は大学卒で、ある旧財閥系の大手企業に勤めていました。 その後、退職して自営業(小売店)の社長をしていました。

既往歴、つまりこれまでに発症した疾患としては、2008年頃から高血圧、糖尿病があり、通院していました。 高血圧症に対してはノルバスク(カルシウムチャネルブロッカー)、カルデナリン(αブロッカー)内服で 血圧コントロールは良好、糖尿病に関しては内服なしでHbA1c 6.0~6.5%程度と境界型、 ガイドライン上は糖尿病前の耐糖能異常(俗に言う「糖尿病予備軍」)に該当するものでした。

2008年後半頃から食欲が低下し、好きなラーメンが全く食べられない状態となっていましたが、 血液検査では特記すべき異常は認められず、 かかりつけの病院の医師からは上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)を勧められて、異常所見なしとのことで、 経過観察となっていました。 食事量はみるみる減り、元気もなくなり、寝込むことが多くなりました。

2009年1月末に、たち家族3人がいる前で痙攣を起こし、救急車を呼び、かかりつけの病院に搬送となりました。 この時、Na 116 mEq/lと重度の低ナトリウム血症が認められ、低ナトリウム血症による意識障害、食欲不振として 入院加療となりました。 入院後の精査で下垂体前葉のホルモン(甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモン、 LH/FSH(性腺刺激ホルモン)、プロラクチン、成長ホルモン) が全て重度に低下しており、汎下垂体前葉機能低下症と診断されました。 (下垂体後葉ホルモンの抗利尿ホルモン、オキシトシンの分泌低下はありませんでした)。 下垂体近傍に腫瘍(嚢胞の可能性も)が認められましたが、増大する速度は一般的に遅いと言われており、 手術は行わず、ホルモン補充療法で経過観察の方針となりました。 副腎皮質ホルモン、甲状腺ホルモンの内服を開始すると、食欲も回復し、ほぼ全快の状態で退院しました。

この時点で認知機能の低下もADLの低下もありませんでした。

2009年、2010年には家族旅行にも行っていました。

急性心筋梗塞を発症当日の2010年8月24日の昼過ぎには、次の家族旅行に行くために ガイドブックや衣服を買いに、母とと3人で近くのデパートにも行っていました。

平和だったたち家族が、まさかこのような「悪夢」のような出来事に巻き込まれるとは、 その時は知る由もありませんでした。

参考ですが、父は急性心筋梗塞発症当時72歳、ADL低下なし、認知症なしでした。 前述したように自営業(小売店)の社長をしていました

ただ若い頃から右前額部に太田母斑があり、その当時もレーザー治療中で、前日受けたばかりで水泡ができていました。 人を見た目で判断するのはよくありませんが、この見た目でその後の方針を判断された可能性は 正直あると思いました。

取手協同病院内・密室内での出来事(医療事故隠蔽、殺人)

2010年8月24日:父親が急性心筋梗塞を発症、取手協同病院・循環器内科に救急搬送

8月24日午後8時頃、胸痛と嘔気、冷汗という急性心筋梗塞の典型的症状で発症しました。 当時医学5年生だったでも分かる症状で、すぐに救急車を呼びました。 自宅からは少し距離はありますが、茨城県取手市にある取手協同病院という総合病院の循環器内科に搬送となりました。

診断はやはり急性心筋梗塞で、PCI(カテーテルによる冠動脈ステント留置術)施行となりました。


2010年8月25日:未明、PCI(冠動脈ステント留置術)終了

PCI術者の岩井利之医師によれば「無事に成功したが、広範囲の心筋梗塞のため、 重症にはなってしまい予後は厳しいかもしれない」との説明でした。 この時点で手技ミス多発・重大事故についての説明はありませんでした。


2010年8月26日:状態が急激に悪化

岩井医師から急遽呼び出しを受けました。「状態が悪化しています。積極的な治療を希望しますか?」という打診あり。 「希望します」と伝えました。その後、鎮静、気管挿管、人工呼吸器装着となりました。 また何故か貧血が進行していて輸血が必要とのことで、輸血施行となりました。 貧血の原因については全く説明がありませんでした。


2010年8月27日:医師から残された治療法がなく回復不能と説明

取手協同病院から呼び出しを受け、岩井利之医師の上級医の梅本朋幸医師からは「血圧が低下しており昇圧剤を最大量投与しています。残された治療法がなく、 今晩か明日にお亡くなりになる可能性が高いです。」 という説明を受けました。この時点で血圧60/40 mmHg前後、心拍数150~160/minと重度のショックで、 いつ心肺停止してもおかしくない危篤状態でした。 その夜、再び取手協同病院に行きましたが、この時は岩井利之医師からも同様の説明があり、「付き添って最期を見守ってあげてほしい」と 看取りに誘導されました。しかし私たち家族は「PCIが成功したのなら、このような経過になるわけがありません。ちゃんと治療して下さい」と言い残して、 帰宅しました。


2010年8月28日:一時的に回復

この日の朝、見舞いに行くと、血圧が110/60 mmHg、心拍数100/min前後と劇的に回復していました。 岩井医師からは「あの後、血圧がさらに下がって50台になり、心エコーを当ててみると、心タンポナーデ(心嚢水貯留によるショック)になっていたため、心嚢穿刺術を行いました」 という事後報告がありました。 家族への連絡や同意取得がなかったのは、「それを行っている時間的余裕がなかったため」との説明でした。 また「血圧は回復しましたが、 原因が心破裂であるため、やはり予後は不良でいつ急変してもおかしくない状態です。 治療法は心破裂の部位を修復する手術ですが、現在の全身状態では手術には耐えられないと思います」という説明を受けました。

その後、病状は回復しませんでした。ショックの解除が遅れたことによる重度のショック肝、ショック腎が遷延していました。 鎮静薬投与終了後も意識は回復しませんでした。 医師からは「肝機能が悪いので、鎮静薬の代謝が悪いのだろうということと、脳梗塞になっているかもしれない」という説明でしたが、 ショック解除が遅れたことによる脳還流低下に伴う低酸素脳症、重度の脳虚血の後遺症というのが医学的に正しい解釈です。


2010年9月11日:医師を追及

見舞いに行くと、父の呼吸が苦しそうで見るに堪えず、岩井利之医師を電話で呼び出し対応をお願いしました。

経過と医師説明内容に大きな矛盾があるため、医師に繰り返し質問しました。 特に問題にしたのは「8月27日の時点で「残された治療法はない」という説明があったが、 実際は心タンポナーデになっていて、それが原因であれば「心嚢穿刺」という治療法があったはず。 その説明がなかったのは「心タンポナーデ」を見落としたからではないか」ということでした。

医師は「見落としてはいないが、その時点では穿刺できるほど心嚢液が溜まっていなかった」と返答。 「それなら何故その時点でそのことを説明してくれなかったのか」と質問しましたが、 「説明する時間がなかった。全ては説明不足」というのが医師の答えでした。 岩井医師の返答の辻褄が合っていないため、様々な角度から質問しましたが、 岩井医師はのらりくらりとかわし続けました。

※録音記録あり


2010年9月12日:父死亡

この日の朝、「状態が悪いため、至急病院に来てほしい」という呼び出しがあり、家族3人で病院に向かいました。 貧血が進行しているため、出血源精査目的で全身CTを行っていたところ、その最中に心肺停止となったと説明がありました。

このCTで頭部に硬膜下血腫の所見があり、原因はDIC(播種性血管内凝固)とのことでした。 PCIが成功したのであれば回復するはずだが、その後、状態が悪化し死亡したという経過が、医師説明内容と矛盾していたため、 「PCIが成功したのに何故このような経過になったのか」、 「血圧が低下して危篤状態となった原因は結果的には心タンポナーデであったのに、 その時点で家族には「残された治療法がない」と間違った説明をしたのは、心タンポナーデを見落としたとしか 考えられないが、それを認めないのか」など 色々な角度から質問しましたが、岩井利之医師、上級医の梅本朋幸医師ともに辻褄の合わない返答を繰り返すのみでした。

最終的に循環器内科長・徳永毅医師が来院して説明しましたが、危篤状態に陥ったのは「心タンポナーデ」ではなく、 元々の心筋梗塞が重症であったため、と譲りませんでした。「心タンポナーデが念頭にあったのなら、その時点でそのことを説明してくれていれば、 それに対して治療してほしいという意思をはっきり伝えることができたのに、説明してくれなかったことにより、その意思を伝える機会が奪われた。 そのことは問題ではないか」と私たち遺族は質問したが、徳永毅は「説明不足」として、この問題を説明義務違反に矮小化しました。

医師側は「死因をはっきりさせたい」とのことで「解剖させてほしい」と 私たち家族に同意を求めてきましたが、 PCIの手技ミスが隠蔽されたことを私たち家族3人(母、、弟)は疑い、司法解剖に付すことを要求しました。

司法解剖は警察の介入が必要になるとのことで、「こちらで警察を呼びましょうか」という病院側の安全管理部門のリスクマネージャーの 申し出に従い、「それではお願いします」と警察への連絡を一任しました。

その後、しばらくして取手警察署・刑事第一課長・沢村紀行警部と名乗る警察官(以下「沢村刑事」)が現れました。

私たちは病院医師らのひどい対応について心の底から訴えましたが、 沢村刑事は「そういうことを私に言われても困ります。私は冷静な第三者ですから」と 私たち家族を突き放し、以後、一切、聞く耳を持ちませんでした。 「検視の結果、筑波大学で司法解剖になります。9月14日に行われる予定です。」と私たち家族3人に沢村刑事から伝えられました。

※録音記録あり

※この時点では疑っていませんでしたが、頭部CTで急性硬膜下血腫があったということは、 頭部外傷があり、それが死因になった可能性が高いということです。父親はこの時点で意識がなく自分で動くことはできませんでしたので、 何者かに頭部を殴打されたか、ベッドから転落させられたか、ぐらいしか考えられない状況でした。

司法解剖が行われたという嘘の説明、死体検案書捏造、殺人隠蔽

2010年9月14日:「司法解剖」

父の遺体を乗せて午後4時に葬儀屋が自宅にやってきました。この人は「死体検案書」を携えていたはずですが、 私たち家族に渡さずに遺体だけ自宅に運び、その場を去りました。

その2時間後の午後6時頃、9月12日に会った沢村刑事ともう1人の同伴者と2人とで自宅にやってきました。 沢村刑事は「死体検案書、これ本田先生(筑波大学法医学教室・本田克也教授)に書いてもらいました」と話し、 たちにそれを手渡しました。しかしその「死体検案書」は原本ではなくA4半裁のコピーであり、 左側にあるはずの「死亡届」の記入欄はありませんでした。

沢村刑事は「これを役場に持っていっていただければ火葬の手続き、除籍の手続き、埋葬の許可などが出ます」と説明しました。

「私も解剖に立ち会いました。明らかな手技ミスなどの所見は出ませんでした。死因はDIC(播種性血管内凝固)でした。 詳しい所見は検査後に判明するようです」という説明でした。

そして「解剖代(検案料)の5万円は私が立て替えました。これはその領収証です」と言って、 私たち家族にそれを渡し、こちらはその5万円を支払いました。

(ICレコーダーで録音記録あり)

それ以後・・・

このとき私たち家族は完全に騙されていたことが後に判明しました。

後の分析で、この沢村刑事から渡された「死体検案書」は捏造されたもので、病院からの請求書の中に「死亡診断書代」と 断言できる項目があり、請求代金が一致していました。 このことは病院から「死亡診断書」が発行されたことを意味します。

本来の死亡診断書(死体検案書)は遺体搬送の際に運転手または同伴者が必ず携帯しなければならないため、 9月14日に遺体を自宅に搬送してきた葬儀屋が持っていたものと考えられます。

本来の死亡診断書の左側にある「死亡届」の欄には、私たち家族以外の何者かが私たち家族の名をかたって記入して、 私たち家族3人に知られないようにして、町役場に提出してしまったものと考えられます。

「司法解剖になった」という警察官(沢村刑事)の報告をたちは信じていたわけですが、 病院から死亡診断書が発行されているということは、たちに内密に病死として処理された、 つまり本当は司法解剖は行われていなかったということになります。

この時のたちはすっかり騙されていたわけですが、 司法解剖で所見が出なかったとしても、医師説明は実際の臨床経過と食い違っていたため、医療事故があったことをは強く疑っていました。 従って、正式手続きを経て病院にカルテ開示請求を行い、その記録を分析すれば、事実が明らかになる可能性が高いと考えました。 そこで弁護士に相談し、正式手続きによる病院から医療記録の保全(証拠保全)を依頼することにしました。

 「弁護士」は例外なく聞く耳持たず、後に成りすましと判明した「弁護士」も
 

2010年10月1日、10月21日:〇〇総合法律事務所訪問

〇〇弁護士、〇〇弁護士の2人。 たちは刑事告訴を前提とした証拠保全手続きを依頼しようとしましたが、 「証拠保全は受任できない。自分たちで病院に任意開示を求めて下さい」と拒否されました。 もう一度、訪問して「やはり正式手続きである証拠保全をお願いします」と懇願しましたが、断固拒否されました。

2010年11月9日:田村町総合法律事務所訪問

「医療事故研究会」という団体にこれまでの経過を説明した書類を郵送して法律相談を申し込んだところ、 担当が渡辺博弁護士、石丸信弁護士の2人に決定。

実はこの弁護士は旧統一教会への訴訟、抗がん剤投与ミス(過剰投与)事件、PCI血管穿孔事故など、 医療事故も多数手がけていた弁護士でした。「証拠保全」は受任となりましたが、 その後、渋る言動が見られました。

証拠保全までには時間を要し、実際に行われたのは、2011年2月8日でした。 その後、医療記録をが独自に分析し、医療事故が間違いなく起こっていた確証を得て、 この弁護士にメールで色々説明しましたが、一切、無視されました(一言もコメントなし)。

だいぶ後になって、これも騙されていたことが判明しました。

2015年9月21日のテレビ朝日放送のTVタックルで、旧統一教会合同結婚式の話題が出た際、 渡辺博弁護士のインタビューがありましたが、たち(母と弟)が対面した「渡辺博弁護士」とは全くの別人でした。 つまり、渡辺博弁護士は成りすましであったことが、その5年後に判明したということです。

2011年5月15日:〇〇弁護士、〇〇弁護士解任

両弁護士ともたちの説明に聞く耳を持たず、要求も無視し続けていたため、 ついに解任することにしました。

2011年6月10日:〇〇法律事務所訪問

「医療問題弁護団」という団体にこれまでの経過を説明した書類を郵送して法律相談を申し込んだところ、 〇〇弁護士、〇〇弁護士が紹介され、 事情を詳しく説明し、この2人に刑事告訴を依頼しました。 罪名は「殺人罪」、「公文書偽造罪」、「詐欺罪」です。 しかし彼らは「我々両名は職業倫理に鑑み、医師らを刑事告訴することはできません」という回答のみでした。 たちが病院側の犯罪の悪質さをいくら強調しても、「そんなことあるはずがない」と全く聞く耳を持ちませんでした。

A4半裁のコピーの死体検案書の筆跡を独自に鑑定

はこの頃、「司法解剖が行われた」という報告は嘘だった可能性があるのではないかと疑い始め、 その解剖所見とされる「死体検案書」を精査することにしました。 すると病院医師が書いた説明用紙と筆跡が酷似していることが分かり、 この医師が、司法解剖執刀医の名においてこの書類を書いた、つまり、捏造したと考えました。

マスコミへの数十件の告発は全て反応なし

2011年6月~8月:新聞社、テレビ局、雑誌社に告発

弁護士が全く聞く耳を持たないとなると、次はマスコミです。 たちは主だった新聞社、主要民間テレビ局、雑誌社・週刊誌にメール、電話、郵便物で 告発・情報提供し、調査・取材・報道を依頼しました。 しかし皆が皆、示し合わせたかのように、全く反応がありませんでした。

1社、反応らしいものがありましたが、こちらの証拠・分析資料を持ち逃げし、その直後に音信を断ちました。

2011年12月10日:〇〇法律事務所訪問

この方は元検事の弁護士です。 たちが事件の概要を説明すると、「そんなことがあるわけがない」と初めから聞く耳を持ちませんでした。 「本当です。これだけの証拠もあるんです。聞いて下さい。力になって下さい」と訴えましたが、 「皆さん方でやって下さい。は受任はできません」と断られてしまいました。

※その後、単発的にマスコミに告発・情報提供をしましたが、いずれも全く反応はありませんでした。

2014年7月:ある海外メディア日本支局にアポなし訪問

話は聞いてくれましたが、それ以上は相手にしてもらえませんでした。

2016年2月~3月:国内メディア〇〇にアポなし訪問

この時は数か所訪問し、そのうち1か所、話を聞いてくれましたが、その後、郵便でのやり取りで、 こちらの送り元は名前以外、記載していないにも関わらず、宛先人不明としてこちらに戻ってきたことや、 蒸気開封された痕があったり、送り先の記者の筆跡と封筒に記載された郵便職員のものと思われる筆跡が一致するなど、 おかしな現象が起こっていました。 これ以上のやり取りは危険と判断し、終了しました。

2019年9月~11月:海外メディアに特殊なツールを使って告発・情報提供

いずれも全く反応がありませんでした。

以上がこの事件と事件の解決に向けた行動の概要です。

たちは既に徒労感と無力感に苛まれていました。これだけありとあらゆる手段を講じても、 何も起こらない、もうやりようがない、ということは、諦めなければならないということだと思いました。

私はこの後、本当に諦める決心をし、人生の次のステップに向けて、本格的に婚活を始めることにしました。 すると、何者かに婚活を妨害されていることが判明しました。

私は「自分は誰からも恨まれることをしていないので、そのようなことをされる心当たりがない」と 再三お話ししましたが、それは「自分は一切悪いことをしていない」という意味においては真実でしたが、 私が何者かにマークされていることには心当たりがありました。それがこの未解決大事件というわけです。

冒頭でも説明したように、この未解決事件の存在を知っているのは、被害者側では今のところ私たち家族3人だけです。 私と接触したあらゆる人間(あまりとは近くない友人・知人・同僚程度の人間)は、 例えばスパイとして相手側(病院側・犯罪者側)に取り込めても、 私と近くなりすぎた人(=結婚相手)は私たちにとって4人目の家族となるため、 相手側に取り込めず、私の味方になる可能性が高いため、 ここが事件の事実が広がる発端になってしまうということを危惧しているのではないかと考えています。

そう考える理由は後に説明します。

実は弟がこの事件について、ある友達に話したところ、 それからしばらくして、その友達の態度が明らかに変わり、冷淡で敵対的になったということです。 「もう俺に近づくな」と「目」や態度で言っていたそうです。「急にどうしたんだよ」と聞いても、その理由は一切話さないそうです。 弟の友達は犯罪者側からの接触を受け、脅迫等による口封じに遭っているのではないかというのが 私たち家族の見立てです。恐ろしいことです。 私がこの事件について周囲の人たちには一切話さないようにしているのは、私自身、周囲との人間関係を 大切にしたいということと、このような「被害者」を無駄に増やさないためです。

その後は「アラフィフ医師・恐怖と怒りの婚活事件簿」に続き、 やがて、おおもとのこの未解決大事件・告発サイトの立ち上げへとつながっていきます。

この未解決大事件の概要を読んで、犯罪・事件の重大さ・あまりの悪質さと、この事件が15年間以上、封印されていたという事実に 驚愕し震えあがった方も多いのではないかと思います。

にわかには信じられないことかもしれませんが、全て私たちが遭遇した出来事と確かな証拠を元に 導き出された結論であり、異論を挟む余地がないほどに真実をクリアに解明できています。 あとはこの事件に興味を持って、解決につなげていただける協力者が現れることに期待するばかりです。

この事件は病院内で起こった医療事故とその隠蔽を目的とした患者殺害事件とその後の隠蔽工作からなりますが、 そのうち、次回は病院内での経過に焦点を当て、特に問題となった論点を挙げて説明します。

次は病院内での経過・医師説明内容の矛盾・問題点・論点【医療事件抹殺事件簿3】へ。

事件の詳細・トップページ

【告発】医療事故後の患者放置・変死事件と司法・行政による死因・死後手続きの偽装【取手協同病院】